札幌地方裁判所 昭和41年(ワ)839号 判決 1967年2月24日
原告 北部運輸有限会社
<ほか一名>
右両名訴訟代理人弁護士 小林盛次
被告 玉川義明
右訴訟代理人弁護士 大野米八
同 岩井淳佳
主文
一、原告らの請求を棄却する。
二、訴訟費用は原告らの負担とする。
三、本件について当裁判所が昭和四一年八月一八日になした強制執行停止決定を取消す。
四、前項にかぎり仮に執行することができる。
事実
原告ら訴訟代理人は、「原告らと被告および訴外道路工業株式会社との間の札幌地方裁判所昭和四〇年(ワ)第三五〇号交通事故に関する損害賠償請求(本訴)・昭和四一年(ワ)第三四〇号反訴請求事件の和解調書にもとづく強制執行を許さない。訴訟費用は被告の負担とする。」との判決を求め、その請求原因としてつぎのとおり述べた。
「一、被告および道路工業株式会社(以下道路工業という。)は、原告らに対し、自動車事故による損害賠償として、右会社に対しては一四四、七三〇円、被告に対しては八一九、九五六円、および右各金員に対する遅延損害金を連帯して支払うことを求める訴えを札幌地方裁判所に提起し(前記三五〇号事件)、原告会社は、被告および道路工業に対し、同一事故による損害賠償として、三一八、一九五円およびこれに対する遅延損害金の支払いを求める反訴を提起した(前記三四〇号事件)。
二、この訴訟(以下前訴という)につき、昭和四一年六月二五日の和解期日に、原告会社代表者渡辺フサ子、原告本田正一(以下原告本人らという。)、および原告らの訴訟代理人であった弁護士小林盛次(以下代理人小林という。)、ならびに被告本人および被告と道路工業の訴訟復代理人であった弁護士岩井淳佳が出願して、原告らと被告および道路工業との間に、(1)原告らは連帯して、被告に対し三〇〇、〇〇〇円の債務のあることを確認し、(2)昭和四一年七月一〇日限り一〇〇、〇〇〇円、同月から同年一〇月まで毎月末日限り各五〇、〇〇〇円を被告訴訟代理人大野米八事務所に持参して支払うこと、(3)分割弁済を一回でも遅滞したときは期限の利益を失い、残額を一時に支払う、その他の条項を内容とする訴訟上の和解が成立し、これにつき調書が作成された。
三、しかしながら、代理人小林および原告本人らの右和解の意思表示は、錯誤により無効である。すなわち、同人らは、被告の原告らに対する損害賠償債権が、前記三五〇号事件における被告の請求金額全額存在するものと信じて、本件和解条項を承諾し和解を成立させたのであるが、のちになって、被告が本件和解成立前に、自動車損害賠償保障法一六条により、被害者として保険会社から損害賠償金三〇〇、〇〇〇円の支払いを受けており、その結果、本件和解当時被告の損害賠償債権額は右三五〇号事件における請求金額から右三〇〇、〇〇〇円を控除した残額となっていたことが判明した。もし本件和解に当り代理人小林もしくは原告本人らが右の事実を知っていたとすれば、同人らは本件和解条項を承諾しなかった。したがって、代理人小林および原告本人らの本件和解をする旨の陳述は、その重要な部分に右に述べたような錯誤があり、無効である。
四、仮に右錯誤の主張が認められないとしても、本件和解は被告の詐欺によるものであるから、原告らは、右和解の意思表示を取り消す旨の意思表示をした。すなわち、被告は、前記のとおり本件和解成立前に三〇〇、〇〇〇円を受領しており、被告の原告らに対する損害賠償債権は一部消滅していたにもかかわらず、和解に当って右受領の事実を隠し、あたかもその損害賠償債権が依然として前記三五〇号事件における請求金額全額存在するかのように代理人小林および原告本人らを欺き、その旨同人らを誤信せしめて、本件和解を成立させたものである。そこで、原告らは被告に対し、昭和四一年九月一九日到達の本件訴状で、本件和解の意思表示を取り消す旨の意思表示をした。
五、以上の次第で、本件和解は無効であるから、前記和解調書にもとづく強制執行の排除を求める。」
被告訴訟代理人は、主文一、二項と同旨の判決を求め、請求原因に対する答弁としてつぎのとおり述べた。
「一・二の事実および三・四の事実中被告が本件和解成立前に原告ら主張のように三〇〇、〇〇〇円の支払いを受けた事実は認めるが、その余の請求原因事実は否認する。前訴の和解期日における被告の請求金額中には原告ら主張の三〇〇、〇〇〇円は計上されていない。また、前訴において、代理人小林立会いの上で、証人式部信市は、被告が保険会社より三〇〇、〇〇〇円受領した旨証言し、更に、担当裁判官も、被告が右三〇〇、〇〇〇円を受領しているのなら、さらに三〇〇、〇〇〇円を支払うことにより和解するのが妥当であるとして和解を勧告したのであるから、原告らは、被告が右三〇〇、〇〇〇円を受領していた事実を知っていたものである。仮に原告らが、本件和解成立当時、被告が右三〇〇、〇〇〇円を受領していたことを知らなかったとしても、知らなかったという事実は本件和解の要素となっていない。」
原告ら訴訟代理人は、「同代理人が、原告らの訴訟代理人としては右証人式部の尋問に立会っていた事実は認める。」と述べた。
証拠≪省略≫
理由
一、原告ら主張の請求原因一・二の事実(前訴と和解の成立およびその内容)は当事者間に争いがない。
二、原告らは、まず、本件和解が錯誤により無効であると主張する。
ところで、前記当事者間に争いのない事実によれば、前訴の和解期日に原告側は原告本人らと代理人小林が出頭し、原告主張のような条項を内容とする本件和解が成立したというのである。そして、和解成立にあたり原告本人らと代理人小林の陳述の間にくい違いがあった等特段の事情の存在について別に主張立証はないのであるから、原告側としては、原告本人らおよび代理人小林が共同してそれぞれ右条項により和解をする旨の陳述をしたものと推認すべきである。したがって、本件和解が錯誤により無効であるとするためには、原告本人らにおいて錯誤があったというだけでは足りず、代理人小林においても同様の錯誤があったことを要すると解するのが相当である。なぜなら、本件和解のように、本人およびその代理人が同一効果の発生を目的とする意思表示を訴訟上同一の機会に行う場合でも、代理行為については民法一〇一条に則り、もっぱら代理人の心的状態の如何によって瑕疵の有無が決せられ、代理人に錯誤のなかった以上、瑕疵のない行為として、その効果が本人に有効に帰属することになるからである。(なお、実務慣行として、和解の際に、従前の訴訟経過や勝訴の見込についての分析、評価等については、当事者本人の認識、発言よりも、法律専門家とされる訴訟代理人のそれが重視されるという実体も、無視されてはならない。)
このことを前提として、代理人小林について、錯誤の有無を検討するに、原告らは、代理人小林にも錯誤があった旨主張するが、≪証拠省略≫中、原告らの右主張にそう記載部分は、後記認定の事実に照らし到底信用できず、他に右主張事実を認めるべき証拠もない。かえって、≪証拠省略≫によれば、前記三五〇号事件の第八回口頭弁論期日(昭和四一年三月一一日)において、証人式部信市は、「被告会社(右乙第二号証および弁論の全趣旨により、右事件における「原告会社」すなわち道路工業の誤記と認める。)で負担した費用のうち、治療費は幾らでしたか。」という原告(本件の被告)側の質問に対し、「二五・六万円でした。従って、昭和四〇年九月に受領した三〇万円の保険金で足りました」と証言していることが明らかであり、代理人小林がこの尋問に立会っていたことは当事者間に争いがない。これらの事実と、三五〇号事件における請求が、自動車事故による損害賠償請求であることをあわせ考えると、代理人小林は、右証人式部の証言によって、被告が本件和解成立前の昭和四〇年九月に、自動車損害賠償保障法一六条のいわゆる被害者請求にもとづき、保険会社より損害賠償金三〇〇、〇〇〇円の支払いを受けたことを知っていたものと推認すべきである。したがって、代理人小林は、右事実を知ったうえで、右和解期日にのぞんでいたものというべく、同代理人に原告ら主張のような錯誤があったとすることはできない。
以上の次第で、原告らの錯誤による無効の主張は、その余の点について判断するまでもなく、すでにこの点において失当である。
三、次に原告らの詐欺を理由とする取消しの主張について判断する。
原告らは、本件和解は原告ら本人および代理人小林が被告の詐欺により、被告がすでに三〇〇、〇〇〇円を受領していたことを知らなかったため錯誤に陥り、前記三五〇号事件における被告の請求債権全額が現存しているものと誤信した結果成立したものである旨主張するが、前記認定のとおり、代理人小林は、被告が本件和解成立前に右三〇〇、〇〇〇円を受領していたことを知りつつ、本件和解期日にのぞんでいたのであって、錯誤により被告の右請求債権全額が現存しているものと誤信したために本件和解を成立させたものではない。しかして、代理人小林の和解をする旨の陳述が被告の詐欺にもとづくものとはいえない以上、前記錯誤による無効の主張についての判断と同様の理由により、原告らは、詐欺による取消しを主張し得えないと解するのが相当である。よって、原告らの右主張は、その余の点について判断するまでもなく、すでに右の点において失当である。
四、以上のとおりであるから、本件和解の無効を理由とする原告らの本訴請求は、その余の点について判断するまでもなく、理由がないから、これを棄却することとし、なお民事訴訟法八九条、九三条、五六〇条、五四八条を各適用または準用のうえ主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 平田浩 裁判官 三宅弘人 根本真)